kagakukougi
本書は、本当に中身が濃いです。
今回は、学長Xが影響を受けた部分だけを取り上げます。
読み終わったあと、対人関係について見方が変わりました。
対人関係が楽になったと思います。
その秘訣が、この本の中にあります。
もしこの本に出会ってなかったらと思うと、怖いです。
もくじ
養老孟司とは?
1937年、神奈川県 鎌倉市生まれ。
1995年、東京大学医学部教授退官
著書に『バカの壁』などがある。
人とは何か?
人間の問題を考えるとき、まずこの問題を解かなくてないけないと、学長Xは思っている。
人間における情報とシステム
これは、「情報記号・生きているシステム」と「情報系1・2」に分けられる。
A | B | |
情報記号 | 生きているシステム | |
情報系1 | 遺伝子 | 細胞 |
情報系2 | 言葉 | 脳(社会) |
万物は流転しているが
情報は固定している
ということ。
人間自体は生きているシステム
例をあげます。
あるテレビニュースをビデオに録画しておく
それは100年先でも同じものを見ることができる
これは情報記号である
ではそのニュースを語っているアナウンサーはどうか?
100年先にその人を捜すとなれば
とうの昔に墓の中である
人間自体は情報記号ではなく
生きているシステムである
映画を立て続けに何回か見る
1回目、2回目、3回目の感想はそれぞれ違う
情報記号は変わらないが
生きているシステムは常に変わるのである
おしゃべりをテープに録音しておく
繰り返し同じおしゃべりを聴くことができる
情報記号である
しかしその人に、寸分狂わずおしゃべりするよう要求するのは無理な話である
生きているシステムは常に変わるのです
この時、ニュースは毎日変わるという反論が生じよう。
しかし
ニュースは常に変化するシステムによって情報が置換されているのです
論文とは
生きているシステムを情報記号に変換することである
情報を生み出すのは
生きているシステム(実体)であり
情報(個体)ではない
情報も実体も脳の中にある
のです。
見た目(生きているシステム)は変わっても
その人の名前(情報)は変わらない
ことと同じである。
2つの自己
自己には二つの側面があります。
内的自己(あるいは私的自己)と
外的自己(あるいは公的自己)です。
内的自己(私的自己)
内的自己は
自分が見ている自分
自分が捉えている自分
です。
これは当然、世界に1つだけのものです。
従って、
自分ただ1人しか知らない自分
です。
外的自己(公的自己)
外的自己は
他人が捉えている自分
他人が見ている自分
です。
これは当然
自分以外の世界中の人たちの数だけあります。
従って、
自分だけが知らない自分
です。
私たちが他人とコミュニケーションをとるのは
この外的自己(公的自己)です。
自分の知らない自分が、他人とコミュニケーションをとっている
のです。
他人と一生関わっていくのは
自分の知らない自分
です。
学長Xは昔、授業中に先生にあてられただけで、耳が真っ赤になるような生徒でした。
周りの人たちの目線を気にし過ぎていたのです。
一生知ることができない自分を勝手に想像して悩んでいたのです。
しかし、内的自己と外的自己が違うことに気づく出来事がありました。
学長Xが通った中学校は田舎で、一学年十数名でした。
卒業アルバムには、「この人はこういう人だった」というように、自分以外の生徒の印象を書くページがありました。
そこではじめて外的自己を知ることになります。
学長X自身は自分のことを、ただの「暗いヤツ」だと思っていました。
でも、その卒業アルバムには「おもしろい人」などと書かれていたのです。
社会人になってからも、自分では意識していないことを言われることがあります。
自分では「無口」だと思っていたのに、「社交的」「話しやすい」「おもしろい」などと言われることがあります。
宿題
今回の授業内容を踏まえて、
みなさんは「イメージ」や「制度」についてどう考えますか?
もちろん正解不正解はありません。
その他、かつての学長Xのように、周りを気にし過ぎて悩んでいる人は
YouTubeのコメント欄にその悩みを書いてみてください。
そしたら周りのみんなは、その人にコメントを返してあげてください。
その人にとっての外的自己を示してあげるのです。
すると、自分で捉えている自分と違うことに気がつきます。
みなさんの情報交換の場としてください。
回答はYouTubeのコメント欄にお願いします。
養老孟司さんの書籍
kagakukougi